鎌倉で和の情緒に浸れる新名所へ
この山荘は、後陽成天皇の第九皇子であり、摂政・関白を二度務めた一条恵観(兼遐・昭良)によって営まれました。
およそ370年前、時代は江戸時代初期、正保三年(西暦1646年)にこの山荘で茶会が催されたという記録があります。
往時は京都西賀茂に建つ、緑の濃淡が幾重にも連なる里山に建つ一条家別邸の離れでした。
一見すると田舎家風なその建物は、恵観公自身が設計をし、随所に雅な心と野趣が込められた、皇族の「茶屋」です。
昭和34年、鎌倉の地に移築。
庭石や枯山水も建物と共に移され当時と同じように配置されました。
その後、昭和39年には国の重要文化財に指定。
同年代の建物としては、京都にあります「桂離宮」「修学院離宮」が有名です。
桂離宮は恵観の叔父の八条宮智仁親王、修学院離宮は恵観の兄の後水尾天皇による造営であり、いずれも江戸初期の朝廷文化を今に伝える施設です。