国指定 重要文化財
一条恵観山荘
Ichijyo-Ekan Sanso
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山荘の歴史と由縁
寛永文化の中心にあった宮廷人の山荘

武家文化の所産がいまも色濃く残る古都鎌倉。相模湾に注ぎ込む滑川上流に、後陽成天皇の第九皇子であり、摂政・関白を二度務めた一条恵観(兼遐・昭良)によって営まれた山荘が佇んでいます。往時は京都西賀茂、緑の濃淡が幾重にも連なる里山に建つ一条家別邸の離れでした。
恵観公の没後、一条家から分かれた醍醐家がその別邸を継承。様々な時代を経て、昭和34年、鎌倉の地に移築され、保存・管理をする財団法人恵観公山荘茶屋会が設立されました。その後、移築を指揮した堀口捨己博士の研究により、昭和39年には国の重要文化財に指定。昭和62年には現在の地へ再び移され、同時に往時の庭や、天皇をお迎えするための御幸門も復元されました。現在は、恵観山荘保存会(一般財団法人茶道宗徧流不審庵)が、管理を続けています。

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